ひとりごとなど

タカダさんへの返信書いてたら長くなったので記事にします。
コメントはタカダさん以外も歓迎(笑)


タカダさんこんにちは。
そういえば、私も過去問研究ってやったことないし、学校は過去問は勝手にやってね状態でしたね。実際、合格可能性判定代わりに過去問解いたぐらいですね。力あれば受かるでしょ・・とかなりいい加減な受験でした。
予備校もないから学校の授業うけて自分で弱点補強を工夫してました。この自分で工夫するのが、大学入ってからの研究や今の仕事にも生きています。
大学の授業より大学受験であれこれ考えて自分で工夫した経験が役にたっているような気がします。
だから、中学入試が終わった途端に、東大向けの塾に殺到するというのはなんともったいないことだと本気で思ってしまいます。もちろん、人気があるみたいだから、すばらしい教育をやっているのかもしれませんが(私は興味がないので調べたこともない)せっかく自分であれこれ試行錯誤する時間があるのいうのにわざわざそれを放棄しなくてもいいだろうにと思います。
まして、塾の指定校になったと大騒ぎする保護者が理解できません。塾に評価されて何が嬉しいのだろうと、素直に思います。価値を「外部評価」にしか見出せない典型なのだろうと思います。

東大にがんばれば誰だって合格できるとはいいません。たぶん、合格できる人は限られていているのでしょう。でも、可能性があるひとはそんなに少ないわけではない。
逆にどこの学校に行ったから東大行けるというものではないことも確かです。
また誰に教わったから、東大合格できるわけでもない。
結局、受験生が自分の力で勝ち取るしかしかないと思います。

筑駒や開成の一番下の入学者よりも、TOP入学の入学者の方が偏差値が低い学校たくさんあります。それでもちゃんと東大合格者が居ます。逆に筑駒、開成の生徒が全員東大に合格するわけではありません。
タカダさんの説もそうだろうなと思います。
中高一貫校出身の経験からは、もうひとつ、伝統のある進学校なら、かなり自立を求められるというのもあります。
これは、いわゆる面倒見がいい学校は当てはまらないかもしれません。
今と違って、カリキュラムが最高に高密度だった時代にさらに先取りだったのでかなりなハイペースの授業でしたが、宿題は出てもチェックなし。補習なし。追試なし。評価は「試験」のみ。
ただ、職員室に質問に行けば、わかるまで教えてくれる。参考書を貸してくれる。勉強のコツを教えてくれる・・・
つまり、自分で考え行動すればいくらでもアシストしてくれるが、自分で動かないとなにもしてくれない。生徒も「してもらおう」と思ってない。
今時の考えでは「面倒見がわるい」学校だけど、たっぷりと「自分で考え、行動する時間と機会がありました。
何も考えずに(強制されて)「勉強」していれば楽に大学入ることができただろなあ、と思いつつ、あれこれ悩んで考えた時間が結局いちばん役にたっている気もします。
友人のその後を見ても、ドロップアウトしかけた友人の方が、大学受験に本気になったあとは恐ろしく伸びたし、受験勉強が間に合わず大学はいまいちであっても、その後社会人で圧倒的に面白い仕事をしていたりします。
中堅校で伸びる人は、学校の指導も焦点があっていると同時に、引け目をもつ必要もないから、「自分で考え、行動する」環境になっているような気がするのですが。
昔も今も、受験体制に入る前に、「目標を自分の力で達成する」という当たり前の考えをしっかり持つことができなければ、結果は出るわけない気がします。

ついでだから、巣鴨について一言
巣鴨は基本的に高校入試の学校だと思います。巣鴨が伸びたのは1985年あたりで高校人口が伸び、公立が迷走している時代で、一足先に開成が高校定員を増やして東大合格者を伸ばしていた時期。開成不合格の受け皿として伸びたのだと思っています。
同じような軌跡を描いた海城はどちらかといえば戦略として早めに中学入学を強化してきた気がします。ついに高校入試やめましたし。巣鴨は「変わらない」ことを是としている気がします。変わった中学入試選抜を頑なに続けていることにも現れている気がします。
「変わらない」ということは、高校入学者で東大合格者を伸ばした頃の体質がそのままということなのかもしれません。中学入学者が中心になっているのに、20年前の高校の体質を「温存」しているのが巣鴨のなのかと思います。


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この記事へのコメント

2010年07月09日 01:23
ご無沙汰しています。

 幼い頃から数年間に渡って生徒を指導していると・・・その子の大学入試時の上限は何となくわかるようになります(苦笑)

 つまり、物事の捉え方や考え方の質、定着の度合い(記憶力)と物事へのこだわり具合をつぶさに観察していると何となく上限は見えてきます。

 もちろん、受験勉強では努力する才能とかあきらめの悪さ(執念とか執着心)がかなりものを言いますし、神経の使い方(どれだけ細部にこだわるか)も非常に大切です。

 私見ですが・・・社会に出ると苦手なことや嫌いなことはたくさんあるわけで・・・したがって多科目に渡って入試を行う難関校は、「苦手科目であっても、入試に受かるレベルぐらいまでは教養のうち」と言っているのだと思います。

 もっとも・・・高校生のときにそういう風に考えられる生徒は滅多にいませんが(笑)

 そういう意味では、学歴というのは、ある程度本気で勉強すればこのレベルまでは行けます、というポテンシャルの証明でしかないと思っています。

 中学入試であれ、高校入試であれ、大学入試であれ、どこかで頂点を極めたことのある生徒はやはりポテンシャルは高く・・・いつも頑張り続けてそこそこの実績を出している生徒よりはずっと化ける可能性を秘めています。

 いずれにせよ、その生徒の持つポテンシャルを引き出すような教育がベストなのですが・・・馬を無理やり水辺に連れて行っても水を飲んでくれるとは限らないのが教育の難しさですね(苦笑)
タカダ
2010年07月09日 21:24
 毎度、長文コメントおこがましく思ってます。
 結局、私が中学受験で違和感を感じるのは、「保護者」なんです。(今となっては、私も保護者の一人ですが。)
 塾とか、私立校は、ニーズがあるところにビジネスがあるというだけで、こちらを批判しても仕方ありません。
 私が育った30年前ごろの地方県立高校では、大学受験よりも教養教育優先で、文理コースに関わらず、社会5教科、理科4教科必須、唯一の違いは、文系だけ数3Cを免除されるぐらいです。高3の2学期まで通常授業が続き、それでも、みんな不満も言わず国立大の一次(当時は共通一次)を目指していましたし、特別な対策もなく、旧帝大を含む難関大学に普通に合格していました。
 違和感と言うのは保護者があまりにも目標を設定しすぎて、(東大を目指せ、理系なら医学部もいい、ダメなら教科を減らして私立文系に鞍替え、いや受験そのものが無意味だから、OAや推薦を狙う。一掃のこと中学・高校で大学附属校に入れてしまえ。)本来の教養教育を軽視していることです。別に東大に拘る必要はありませんし、受験には体力も運も必要ですから、高3の2学期頃に本当の適正を見極めればよいだけで、それまでは好き嫌いをせずに全教科打ち込めはよいだけなんです。
 それなのに、高校1年のころから文系コース理系コース、学校によっては医系コースなどと、対策を立てれば最小の努力で志望大学に合格できるという風潮を生み、保護者もそれを支持する。数年前に起きた理由漏れとか。
 社会に出て最後に頼れるのは、身に着けた幅広い教養なんですが、偏った教養だけで学歴を手に入れて、親として本当に子供のためを考えているのか疑問です。そこが中学受験の問題なんです。

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